【フェニックスの変人】
60~70年代の米国では、精神分析が全盛期でした。
分析に基づく理論が主流でした。
そのため、エリクソンは、変わった人、精神異常者
とも言われてました。
(彼は、今でいう発達障害だったという話があります。)
エリクソンの行う、解決志向療法や短期療法、
焦点化療法は主流派からは認められませんでした。
フロイト派や他の学派の人達にとって、無意識とは
人間が否定感情や問題をためこむゴミ箱のように
思われていました。
一方、エリクソンは、無意識を健全で、肯定的、
前向きな可能性を持つとして信頼していました。
むしろ、問題は抱えているのは意識であり、
無意識は、精神的な重荷を詰め込むゴミ箱では
ないと考えていました。
エリクソンは、目の前の「人」に、フロイト派などの
○○派の枠を当てはめるのではなく、
むしろ、セラピストは独自の理論を持つべきだと
考えていました。
起業家意識ともいえるでしょう。
同時に、流派を嫌い、セラピータイプをつくろうとは
しませんでした。
目の前の「人」に誰かの理論を当てはめることを
よしとしなかったのです。目の前のその人を
人として扱ったのです。
目の前の人を信じ、そして、課題を与えることを
したエリクソン博士。
現実の行動で変化を生み出すことからクライアントが
変わっていくことを知っていたからです。
そして、そのことは彼の長年の肉体の痛みに対する
取り組みから導かれていたのかもしれません。
困難な状況や試練は、ギフトだという生き方を
体現されていた偉大なリーダーです。
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Daniele Sinner (金曜日, 03 2月 2017 15:26)
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